酔い旅・夢気分

 

デザイン室の前岡です。

 

今年の6月都内で酒を飲み、終電に乗り遅れ、大手町から埼玉県越谷市の自宅まで、約32kmを7時間半かけて歩きました。

 

思いがけず?体験できた、時間を贅沢に使った貴重なものでした。

 

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そもそも、酔った勢いで

「自宅までは都内を抜けてしまえば、草加、越谷…。歩ける!?」と思ったのが、

はじまりでした。

 

しかし、この都内を抜けるのに、3時間半、15km。

草加が7km、越谷が10km……。

 

歩けはしましたが、自宅に到着するころには、意識が朦朧として、最後の方はどこをどう歩いたのか?

 

(写真はすべて後日撮影)

 

大手町より1時間半、三ノ輪に到着。

都電荒川線の始発駅、昭和の空気漂う商店街あり。

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吉原遊郭の投げ込み寺としても有名な浄閑寺もありました。

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大手町より2時間、北千住に到着。まだ元気でした。

 

千住大橋のたもとに、「奥の細道 矢立はじめの地」の碑あり。

ここで一回目の休憩。

 

碑文にありました。

以下碑文(要約)

芭蕉は、三月二十七日(新暦五月十六日)の朝、空が明るみはじめたころ、深川で見送りの人々と船に乗り、隅田川をさかのぼり。千住大橋のたもとで船を降りると、矢立のはじめに惜別の句を詠んで別れを告げ、門人河合曽良と共にみちのくへと旅立って行った。

 

惜別の句『行く春や鳥啼き魚の目は泪』

 

さらに、芭蕉の奥の細道に旅立った時の年齢が書き込まれてあり、「46歳」。

(私も偶然、46歳です!)

 

最初の宿泊地は「草加」とあります。

短い、ここから10kmくらいです。

二日目の宿泊地は春日部。

私の自宅は越谷市ですが北の端、橋をわたると春日部です。

当時の道を考慮に入れても、短いように思いますが?

私も、これから旧日光街道、国道4号線沿いを歩きました。

 

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大手町より3時間半経過、

草加に到着。そろそろ、へたってきました。

 

芭蕉、最初の宿泊地。

江戸時代、日光街道で江戸から2つ目の宿場町として栄えたそうですが、今の国道沿いには、当時の面影はなく、アスファルトの道が延々つづいているだけでした。

 

このあたりで二回目の休憩。あとは自宅まで休憩なし。

ちなみに1つ目の宿場町は千住宿です。

 

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大手町より5時間経過、

越谷に到着。足が痛くて歩くのがいやなっていましたが、

ここで休むと立てなくなると思い、歩き続けました。

 

日光街道で江戸から3つ目の宿場町。

草加を過ぎて、外環道を抜けると越谷市なのですが、自宅は先にも書いたように、

越谷の北の端、これが長かった10km。2時間半かかりました。

 

やはり国道沿いには見るものなし、

腹のすいた私には食べ物屋ばかり目につきました。

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自宅に着く頃には、すっかり明るくなり、

疲労した身体に夏の日差しが刺すようでした。

 

都内は人が歩く間隔で、店などがありますが。

国道沿いは車の間隔ですので、歩くと漠々した感じがします。

苦行をしているようでした、苦行などしたことはありませんが。

 

自宅では、家族が朝食をとっていましたが、だれも褒めてくれませんでした…。

 

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最終更新:2024/09/12 RSSについて

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