ふかい名前

名前をつけることって、ヒトにとってすごく根源的な創作行為ではないでしょうか。あるとき、ふとそう思いました。

花の名前であろうと人の名前であろうと、全ての名前には、そう名付けられる根拠が全くありません。

「たんぱく質」は、それ自身が「ぼくタンパク質です」っていう名札をぶら下げていたからそう名付けられたわけではもちろんないわけで、それは人為的、それも多分に創作的なヒトの仕業です。

ということは、現代の私たちの言葉、もっといえば文化などというものは、過去から脈々と受け継がれた人間の「なんちゃってセンス」成分配合率、高いものと思われます。拍子抜けするような圧倒されるような思いです。


名前をつけるという営みは、遠い遠い昔、言葉の発生と起源を同じくするのでしょうが、当時の人達(原始人?)が、広くて雑多な外界世界を、部分ごとに手っ取り早く効率よく認識する必要に迫られた中でひねり出したタグづけ行為、それが名前をつけるということなのだろうと想像します。

実在していて、重さや質感を伴う、そういうリアル世界を抽象化する営みである点で、それは今日私たちが生きている世界のデジタル化のはじまりとすら言えるかもしれませんね。


最近心に引っ掛かる名前と言えば「ガジュマル」ですね。植物のガジュマル。ほどよいふざけ加減があって、響きもよい。もしいつか犬を飼うことになったらつけてみたいです。

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最終更新:2024/09/12 RSSについて

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