駒込富士神社

住  所
文京区本駒込5-7-20
電  話
03-3823-7894
アクセス
東京メトロ南北線「本駒込駅」下車 徒歩13分
JR山手線「駒込駅」下車 徒歩12分

富士山は、その美しく神々しい姿から山岳信仰の対象とされてきました。富士山の八合目から上は、この世とは異なる場所とされ、富士登山は修験者の厳しい修行とされていました。
それが江戸時代になると、庶民の間に富士講という民衆信仰が起こりました。お金をため、富士山に登って救われようという富士山信者が増えました。御山参拝を一生に一度は体験したいとはいえ、江戸から富士吉田まで健脚家でも片道3日、登山にはさらに2日かかる距離でした。このため、江戸のあちこちに富士に見立てた富士神社、富士塚がつくられ、お手軽な富士登山と信心が人々の楽しみとなりました。駒込富士神社も熱心な庶民たちが、富士山に見立てて通った場所の一つなのです。大政奉還がされ、明治に入ってもしばらくは富士山の信仰登山が続きましたが、人々の宗教観もしだいに変わり、やがて富士山も観光登山の山となりました。

最初、富士神社は今の東京大学の敷地に建立されました。天正元年(1573年)、ある夜、本郷村の2人の名主の夢枕に、日本神話に出てくる木之花咲耶姫命(コノハナサクヤヒメノミコト)が立ちました。木之花咲耶姫は、富士浅間神社の御祭神であり、これをお告げと考えた2人の名主は、富士浅間神社を勧請して本郷の地に富士神社をつくりました。江戸時代になって加賀藩前田家の屋敷となったため、一度移転、さらに駒込の地に移って人々に駒込富士と呼ばれました。元あった場所は本富士という地名となりました。現在は本郷7丁目と変わり、本富士警察署の名前に残っています。

駒込富士神社は、JR駒込駅と東京メトロ本駒込駅のちょうど中間、本郷通りから東に少し入ったところにあります。立派な鳥居とイチイのご神木がそびえ立つ奥、小高い急な石段の上にお社があります。こんもりとした丘の高さは約6メートル、神社になる300年ほど前の文献にも、すでに塚があったと記録があるため一説には古墳ともいわれています。石段近くには富士の溶岩もあり、立ち並ぶさまざまな石碑に、富士講の熱心さが窺えます。
毎年、7月1日の富士山の山開きにあわせて、駒込富士神社も6月30日から7月2日には山開きの大祭が行われ、縁日で賑わいます。

江戸には、八百八町の数だけといわれたほど多くの富士塚があり、それぞれに富士講がありました。現在、都内では、品川神社、鳩森八幡神社、上目黒氷川神社などの富士塚がよく知られています。文京区では、駒込富士神社のほかにも白山神社と護国寺に富士塚が残されています。