護国寺
(神齢山悉地院護国寺)

森閑とした境内

住  所
文京区大塚5-40-1
電  話
03-3941-0764
アクセス
東京メトロ有楽町線「護国寺駅」下車 徒歩3分
ホームページ
詳細はホームページよりご確認ください
http://www.gokokuji.or.jp/

護国寺駅から音羽通りを北に行くと、五代将軍綱吉の生母、桂昌院の祈願寺として1681(天和元)年に建てられた護国寺があります。

堂々たる木造建築の仁王門を一歩入れば、車の音も途絶え、折からの炎天で辺りはセミの声だけが降るように聞こえてきます。境内を進み、さらに長い階段を上がって松の緑も美しい不老門(中門)をくぐると、目の前がぱっと開けて、正面には都内最大の木造建造物、護国寺観音堂(本堂)の威容が目を引きます。周囲には、薬師堂、多宝塔など、創建当時からの重厚な建物群が本堂を取り囲むように点在していますが、中でも月光殿は桃山時代の華麗な書院造りを今に伝えています。

本堂の周囲には様々な音があります。石塔の石を刻む音、低い読経の声、歌うような声は真言密教の聲明でしょうか。金剛鈴を振るチリーンとかぼそいようで長く余韻を引く鈴の音色がいくつも重なって耳に届いてきます。自分がいつの時代にいるのかわからなくなるような不思議な気配です。

本堂

本堂に入れば、その大きさに圧倒され、また全ての音を吸い取ってしまうかのような静寂が空間を支配しているようです。
紀伊国屋文左衛門が手配したと伝えられる直径50センチを越える52本の本堂を支えるケヤキの柱は、300年間毎日お経を聞いてきたので、抱きついて願えば叶う開運柱と言われています。

本尊は如意輪観世音菩薩像で、こちらはお正月や行事の日にしかお目にかかれません。でも、本堂の中には地蔵菩薩をはじめ、大小さまざまな数十の仏さまを間近で見ることができます。天井を見上げると綱吉の筆による悉地院の額文字、四畳敷きはあろうかという元禄十年と記された絵馬がこちらを見下ろしていました。

如意輪観世音菩薩像

本堂の裏にある護国寺の墓所には、大隈重信、三条実美、山県有朋ら、幕末から明治を駆け抜けた人々の墓があります。旧岩崎邸や鹿鳴館の設計で知られるジョサイア・コンドルも、生涯を日本で過ごしこの地に眠っています。

帰途、仁王門をくぐって音羽通りに出ると都市の喧騒に再び包まれます。区画整理で道幅も広がり、両側にはビルの立ち並ぶ音羽通りは、かつて将軍が1000人もの供揃を従えて参詣した御成道でありました。護国寺の山門から見渡すと、音羽通りの正面はるか遠くには江戸城が見えていたといいます。

音羽通り。
このずっと向こうに江戸城が見えた