湯島聖堂
- 住 所
- 文京区湯島1-4-25
- 電 話
- 03-3251-4606
(公益財団法人 斯文会(しぶんかい))
- アクセス
- JR「御茶ノ水駅」下車 徒歩2分
東京メトロ丸ノ内線「御茶ノ水駅」下車 徒歩1分
東京メトロ千代田線「新御茶ノ水駅」下車 徒歩2分
- ホームページ
- 詳細はホームページよりご確認ください
http://www.seido.or.jp/
各線御茶ノ水・新御茶ノ水駅から外堀通りを東に向かって歩くと、ほどなく左側に風情ある練塀が現れてきます。この向こうが湯島聖堂です。外堀通り沿いにある仰高門(ぎょうこうもん)が正門のようですが、その他に聖橋門と西門、通常は閉鎖されている北側の明神門があります。徳川家康の代から四代にわたって幕府に仕えた儒学者・林羅山が、上野忍ヶ岡の廷内に設けた先聖殿という孔子廟。湯島聖堂は、元禄3年(1690年)に五代将軍・徳川綱吉が、この孔子廟を現在の場所に移したことによって始まります。
この時に、先聖殿はその名を大成殿と改められ、付属の建物を含めた全体が聖堂と呼ばれるようになりました。寛政9年(1797年)には十一代将軍・徳川家斉が敷地を拡大し、現在は東京医科歯科大学がある土地に「昌平坂学問所」を開設。大成殿の改修も行いました。明治維新後にも、東京師範学校や日本初の図書館である書籍館、東京女子師範学校が設置されるなど、日本の近代教育発祥の地としての役割を担ってきたのです。大正11年(1922年)に国の史跡として指定を受けましたが、翌年の大正12年(1923年)の関東大震災によって入徳門と水屋を残して焼失してしまいました。昭和10年(1935年)に、寛政9年の姿を模して鉄筋コンクリート造で再建され、今に至っています。
敷地内には、中国山東省の曲阜(きょくふ)にある孔子の墓所で、今も植えつがれている楷(かい)の木の子孫だという大木や、高さ4.57メートル、重さは約1.5トンもある世界最大の孔子銅像などがあり、目を引きます。また、敷地の北東側に位置する神農廟(しんのうびょう)は、毎年11月23日の神農祭の時にだけ一般公開されているそうです。
入徳門(にゅうとくもん)は関東大震災の災禍を逃れて聖堂内に残る、唯一の木造建造物です。建立は宝永元年(1704年)。その佇まいは一際歴史を感じさせます。
入徳門をくぐると、石段の上に杏壇門(きょうだんもん)、大成殿の黒い建物が、圧倒的な重厚感で迫ってきます。寛政9年の改修時に、それまで朱などで彩色されていたのを黒漆塗りにしたとのこと。この改修の時には、中国明朝の遺臣・朱瞬水が水戸の徳川光圀のために作った、孔子廟の模型を設計の参考にしたそうです。
大成殿は土日・祝日と年始に公開され、参拝だけでなく、施設維持費を支払えば殿内に入ることもできます。お祀りされている孔子と、孟子、顔子、曽子、子思の四賢人の像や、儒教の賢人たちが描かれた額や掛け軸、さらに聖堂の屋根に設置された装飾などを間近に見学できます。
杏壇門や大成殿の入り口の近くには、「合格」と書かれた絵馬がたくさん奉納されています。学問への御利益を求めて参拝する受験生なども多く、絵馬やお守りの他、学業成就鉛筆も入手できます。試験などを受ける時には、ぜひお参りしてみてはいかがでしょうか。