団子坂
文京区千駄木二丁目と三丁目の境を東へ下る坂が団子坂です。下りきった先は谷中へと続いています。名前の由来は、昔は坂の下に団子屋があったからという説と、急な坂なので雨降りの日に転ぶと泥まみれの団子のようになるからという説がありますが、おそらく前者ではないでしょうか。漱石の「猫」の中にも団子屋の話が出てきます。
明治期には二間半といいますから5m弱の狭い坂道だったようですが、現在は20m近くの道幅で、ひっきりなしにクルマが行き来しています。坂の途中には観潮楼跡の残る鴎外記念本郷図書館があり、近くには古道具屋や老舗のお菓子屋などが点在しています。坂の下には地下鉄千代田線の千駄木駅があって、その上を走る不忍通りもクルマがあふれるにぎわいですが、団子坂は現代の東京のすきまから、江戸や明治のいにしえの顔が見え隠れする場所です。
文芸作品に描かれた団子坂
団子坂ほど多くの文芸作品に登場する坂はないでしょう。江戸川乱歩の「D坂殺人事件」、団子坂の上に住んでいた森鴎外の「青年」、二葉亭四迷の「浮雲」などの他、正岡子規は『自雷也もがまも枯れたり団子坂』と団子坂の菊人形の様子を詠んでいます。鴎外と同じくこの地に住んでいた夏目漱石の作品の中には、しばしば団子坂の名前が出てきます。
「三四郎」より
一行は左の小屋へ這入った。曽我の討入りがある。五郎も十郎も頼朝もみな平等に菊の着物を着ている。但し顔や手足は悉く木彫りである。
-----団子坂は菊人形で有名でした。三四郎の一行が団子坂にある菊人形の小屋に入る描写です。
団子坂が発祥の地です
『菊人形』
菊で飾った人形で芝居や伝承の名場面を見せる見世物。そもそもの始まりは江戸時代に巣鴨・染井の植木職人が菊細工としてお寺で参拝客に見せ、それが明治になって、ここ団子坂に移ってたくさんの見物客を集めるようになりました。秋になると団子坂の両側には菊人形の小屋がたちならんだということです。
『藪そば』
そば通には有名な屋号の「藪そば」。今は神田、浅草、上野が御三家と言われていますが、神田藪の本家がここ団子坂にあったのです。江戸時代中期にあちこちに藪そばができましたが中でも最も繁盛して有名だったのが団子坂の「蔦屋」。店は三代続きましたが、明治になって、そばでつくった店の財で相場に手を出し、失敗して姿を消したようです。
『女性解放』
「元始、女性は実に太陽であった」と表紙に書かれた女性解放の雑誌、「青鞜」が世に出たのは明治44年、書いたのは平塚らいてう、時に25歳でした。家長が絶対的権力を持っていた時代、らいてうはここ団子坂の地で「青鞜」を創刊、女性解放 の歴史の最初のページを開きました。現在は文京区立森鴎外記念館の向かいのNTTの建物脇(赤い丸印)にプレートが残っています。
坂にある名店
菊見せんべい総本店
- 住 所
- 文京区千駄木3-37-16
- 電 話
- 03-3821-1215
- 営業時間
- 10:00~19:00(定休日:月曜日)
巴屋
- 住 所
- 文京区千駄木5-2-21
- 電 話
- 03-3821-2519
名店、いろいろ。
不忍通りの谷中側には、レトロな店構えのおせんべい屋さん「菊見せんべい」があります。明治8年創業で、その名にあるように菊人形見物のお土産でした。
団子坂上の信号とNTTの間にあるのはおそば屋さん「巴屋」。江戸時代から続く老舗の暖簾分けで、この地でも昭和5年から。辛めのツユとコシのあるそばはボリュームもあって満足することうけあい。
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